ルイス・カーン

呼吸する天井を見つめるカーン

三大巨匠に次ぎ“20世紀最後の巨匠”と呼ばれる大建築家。


ユダヤ系の両親は迫害を逃れてカーンが5歳の時、エストニアから移住。
フィラデルフィアのスラム街で育ち、貧しかったが芸術的才能を認められ、奨学金を受け名門ペンシルヴェニア大学でボザール流の古典主義建築を学ぶ。


建築家としては遅咲きであり、自身初の文化施設設計である“イエール大学アートギャラリー”は50歳、世界的名声を確立した“リチャーズ医学生物学研究棟”は56歳で手がけたもの。

メディアなどに「それまでなにをしていたのか」と問われると決まって「スタディしていた」と述べたのは有名なエピソードである。

イタリアからギリシャ、エジプトを旅する“グランドツアー”を一つの糧とし、それを機に自身のスタイルを見出したとも言われている。

母校であるペンシルヴェニア大学で教鞭を執り、どんなに建築家として多忙であっても、レクチャーには遅れることなく欠かさず顔を出し、学生との対話の中でもまた建築の本質を追い求めた。

クライアントとのビジネスが成り立たなくとも、自腹を切ろうとも、一度受けた依頼は自身が納得するまで半端な仕事はしない完璧主義者としても知られている。


“レンガはアーチになりたい”

“太陽自身、建物の壁に当たるまで光の偉大さを知らない”

このような哲学的で難解、独特な言い回しの数々は学生や建築家達を惹きつけ、現在活躍している多くの建築家達に強い影響を与えたという。


美術館の最高傑作と評される“キンベル美術館”や空をも建築の一部とした“ソーク生物学研究所”、他界後に竣工した“バングラディッシュ国会議事堂”など一連の代表作品はブルータリズム建築、すなわちコンクリート打ち放しを軸とし、配管設備をなどを露出する建築様式を主に用い、幾何学的シェイプにより秩序立てられた、圧倒的な存在感とその精密さは、竣工から40年近く経った今なお、世界的重要建築物としてみなされている。


光や水といった素材を自在に操り、所々に使われる大理石や木材とコンクリート、ガラス、鉄とのバランスが心地よく、その美しさはまるで神殿のようである。



大建築家、ルイス・カーンが73年の生涯を閉じたのは1974年、インドからの帰途、突然の心臓発作に襲われ倒れたNYの地下鉄駅の便所の中だった。二日間も身元不明として死体置場に放置されてたという。

巨額の借金、未完の作品、そして神話が残された。



それまで培ってきたものを20年の間に全て出し尽くすが如く走り続け、最後まで建築に挑んだカーンにとっては、ミステリアスな最期も相応しかったのかもしれない。


 ソーク生物学研究所
                 
イエール大学アートギャラリー




「創造とは逆境の中でこそ見出されるもの」



安藤氏と同じく彼の言葉に強い感銘を受けています。
建築のことなど全くわからなかった僕にとっても強い衝撃を与え、惹きつける魅力がありました。
知れば知るほど奥が深く、それまでの建築家達とは一線を画す、巨匠と呼ぶに相応しい建築家だと信じています。
メディアなどを通して聞こえてくる様々な伝説に純粋に憧れを感じ、時に僕を励ましてくれる存在でもあります。