石山修武

queple2006-06-27

1944年生まれ。
岡山県出身。


1968年早稲田大学大学院修了。
同年、東京に設計事務所を開設。



槇文彦に「野武士」と称された建築家の一人。



石山が崇拝する川合健二の自邸「コルゲートパイプの家」に強い影響を受け、全く同じ素材を使い設計した自身の処女作「幻庵」は当時の建築界に衝撃を与えた。
安価な素材と明快な構造、また高度な技術を必要としないことを強調した住宅の実現化はセルフビルトの可能性を人々に投げかけた。
その後発表された「開拓者の家」や「神官の間」からも「幻庵」で表現された要素を垣間見ることができる。




これまで“住宅”を主なテーマに、自身の作品や著書を通して現代の住宅に対する自らの思想を開示してきた。



「明らかに現代の日本の住宅は世界最低水準だ」



工業化が進み商品化してしまった現代の日本の住宅を痛烈に批判すると共に、住宅本来の質に全く反映していない高価格を嘆いた。



自邸であり、自身の志向を具現化したのが「世田谷村」である。
これは石山が追求してきた“オープンテック・テクノロジー”具現化の第一号であった。
4本の鉄管支柱によって支えられた単純明快な構造と屋上に設置された菜園からは、師である川合健二が生涯のテーマにしていた“自給自足”の精神を具体化すると同時に、工業と自然という一見対極にある二つの要素を見事に融合させている。
「世田谷村」に用いられている部品の一部は、石山が実験的に開発したもので、それらは「世田谷村市場」にて直売されている。
かつてウイリアム・モリスが自身の作品を展示販売した「モリス商会」が石山の活動内容と似ていることから、しばしば自身とモリスの共通性について言及している。


職人意識が強く、現在に至っても前衛的な姿勢を崩すことなく活動している。


現在、早稲田大学理工学部建築学科にて教鞭を執っている。






                「幻庵」 


 「世田谷村」






大学時代は山登りに没頭し、1,2年次の授業にはほとんど出席しなかったというエピソードもありまずが、彼の思想から再び住宅について考えさせられました。
人生で一番高い買い物だということを誰もが承知しているにも関わらず、人々はそれについてあまりにも無知であり、それの発展や向上について無関心だなと痛感しました。
石山氏はかつて日本の住宅は世界最高標準にあったにも関わらず、60年代に始まった「住宅商品化」によって状況が豹変したと述べています。
彼のセルフビルトの思想からはバックミンスター・フラーの「フラードーム」などが連想されます。
今後の“オープンテック・テクノロジー”での新たな住宅のあり方の提案に期待したいです。

  

 師である川合健二の「コルゲートパイプの家」