アーキグラム

エレクトリック・トマト

1960年代、イギリスで活躍したアヴァンギャルド・建築家集団。

アーキグラム”とは彼らが出版していた雑誌のタイトルであり、それを通し数々の新たな建築・都市を提案した。

メンバーはピーター・クック、ウォーレン・チョーク、デニス・クロンプトン、マイケル・ウェブ、デヴィッド・グリーン、ロン・ヘロンの6人。


1961年の創刊当時、グループはクック、グリーン、ウェブの3人だった。

ビートルズが“Love Me Do”で彗星の如くデビューした1962年、「アーキグラム」第二号発行と共にチョーク、クロンプトン、ヘロンが加わる。

「リビング・シティー」でデビュー。
その後もハイセンスなグラフィックアート、コラージュやフォトモンタージュを駆使し高い思想力をビジュアル化し、新たな未来都市のあり方を誌上に掲載した。



<可動> 
<増殖>
<都市の変容>
<都市のネットワーク>
そのようなテーマを掲げ、新しいハイテクな未来都市・建築の登場を技術の向上と共に期待した。



同誌で紹介した数々のプランを彼らはあくまで“アンビルト”を前提としていたが、実際それらは実現する以上に世界を動かす影響力を持っていた。
彼らの一貫した姿勢は“ペーパー・アーキテクト”という新たな分野をも生み出し、その可能性を確立したという。


無論、「アーキグラム」上で発表された彼らの提案が実現されたことははない。


1974年の解散後、メンバー達がAAスクール、ロンドン大学バートレット校、ウエストミンスター大学といったイギリスの主要な大学で教鞭を執った事は非常に大きな意味を持っていた。
彼らの思想が多くの次世代の建築家達に強い影響を与えたいう。AAスクールで学んだレム・コールハウスもその一人である。
                
           
              「plug in city」 



しかし創刊当時、当然彼らのような前衛派建築家は批判の対象であり、ベテラン建築家達によって“学生レベルのただの冗談にすぎない”と罵声を浴びさせられた。
同時に彼らのようなアーティスト的建築家達の存在は多くの建築家にとって伝説的で憧れの存在であり、“建築界のビートルズ”とも謳われていたという。

                    「walking city」


                          

モジュールを追加することにより都市を形成してゆく「プラグイン・シティー」、住居者の希望によって移動を可能とした「ウォーキング・シティ」などの代表作に見られる彼らの思考は、“生きる都市・建築”という観点でメタボリスト達と共通するものがあったと思います。
あくまで紙の上だけでの具現化を前提として様々な提案をした背景には、1960年代という社会全体を建築によって変えられる可能性を秘めていたという事実もあったのでしょう。
イギリスという階級社会の中で上流階級にいた建築家。
職業上、保守的にならざるを得ない立場にいたはずの彼らが、何か既存のものを壊すかのように、知的にやりたいことを純粋に楽しみながら前衛的に行った提案の数々からは“余裕”や“遊び心”と同時に“彼らが社会に対してできること”に真剣に取り組む姿勢が感じられます。
メンバーの中心人物であったピーター・クックの事実上の処女作品である「クンストハウス・グラーツ」が2003年、世界文化遺産にも指定されたオーストリアの古都、グラーツに竣工しました。
是非一度訪れてみたいものです。

 ピーターの処女作、「クンストハウス・グラーツ」