磯崎新

queple2006-06-13

1931年生まれ。
大分県出身。


1954年東京大学工学部建築学科卒業。
丹下健三に師事し、1963年、磯崎新アトリエ設立。

紛れもなく世界で最も著名な日本人建築家の一人であり、欧米の建造物の設計も多く手掛けている。


メタボリズム・グループのメンバーではなかったが、丹下健三の下で「東京計画1960」に携わり、後に発表した「空中都市」が“新陳代謝”の可能性を含意していることからしばしば“メタボリスト”とされている。


1970年代初頭には、磯崎独特の“廃墟志向”とメタボリズム的要素を重ね合わせた「コンピューター・エイディッド・シティー」を発表するが、その後、90年代の<蜃楼都市>まで都市計画の分野から撤退してしまう。



それ以降はスタイルを変え、1983年竣工の「つくばセンタービル」で“ポストモダン建築の旗手”とされた。
同時にそれは廃墟志向の完全な表れでもあった。
磯崎は自身が設計した「つくばセンタービル」が廃墟になった姿の模型を製作した。
設計と同時に廃墟をも想像し模型化するなどという、全く前例にない行為を平然とやり遂げた磯崎はこれ以降より色濃い存在となった。


“アンビルト”作品が多い磯崎だが、その中で最も論議を呼び“傑作”と謳われたのが1986年の「東京都庁舎設計競技案」であった。
純粋にコンペの要項に従えば構造は必ず超高層になってしまうものだったが、磯崎の案はそれらを無視し、唯一の横長長方形の外観を特徴としたものだった。
磯崎はまず“シティホール”の定義を根本から見直し、多くの人々が集える大聖堂のような空間を提案した。
既存の概念に真っ向から挑む、落選覚悟で臨んだこのコンペで磯崎の案は非常に高い評価を受けたという。
丹下健三が一等当選を手にしたが、磯崎はこのコンペでの“勝利”を犠牲にしながらも“都庁舎とはどうあるべきか”という疑問を人々に投げかけた。
浅田彰は磯崎案の当選を再三説いたという。


 北九州市立美術館(1974)                                 


代表作に「つくばセンタービル」、「ロサンゼルス現代美術館」、「水戸芸術館現代美術センター」、「北九州市立美術館」、「京都コンサートホール」などがあるが、それらから共通するデザインの一貫性は見られない。
意図的な廃墟感が漂う、それらの建築物の共通点といえば“プラトン立体”や“キューブ”だけである。
それに対し磯崎は一つのスタイルを固定すること、建築様式を追求することを避け、常に変化する状況に自身を置きたいと述べている。
そのようなスタイルから<アーキテクチュア・ピカソ>とも称されている。


著作活動も活発に行い、多くの海外の思潮を著書を通して紹介している。建築という分野に限らず、政治や現代思想に関する著書もある。
近年、自身が設計した「水戸芸術館現代美術センター」で行われた「アーキグラム展」で当時の前衛建築家達の活躍が紹介されたが、彼らの存在をいち早く認識し、詳細に参照したのは磯崎だったという。


磯崎は他のどの建築家よりも政治・思想・社会・美術・デザイン・映画などにも深く抵触し、それらを建築でディスクロースしてきた。
また多くの設計競技の審査員を務め、多くの建築家達の考案の実現化に多大な支援を果たした。



         水戸芸術館現代美術センター(1990) 




磯崎はまた、大胆で強烈な批判をすることでも知られている。
東京国際フォーラム(ラファエル・ヴィニオリ)、東京都現代美術館柳沢孝彦)、江戸東京博物館菊竹清訓)、東京都庁丹下健三)、東京芸術劇場芦原義信)をバブルの後遺症でできた粗大ゴミだと述べたのは有名である。
会合の場で「住宅は芸術である」と述べる篠原一男に対し「住宅は建築ではない」と発言し、激怒させたというエピソードまである。


2001年にギャラリー間で開催された「アンビルト/反建築史」では多くの実現しなかった作品が展示された。
現実に建ったとしても数十年後には取り壊されている可能性のある現存する建築物に対し、磯崎の木製のアンビルト作品の模型は恐らく100年以上存在することが可能であろう。
写真よりもリアリティーがあり、後世の人々に思想を伝えるという点では「過去にあった建築物<アンビルトの模型」であることは間違いない。
磯崎はそのような先のことまで見据えていたのかもしれない。


 空中都市(1962)
 
東京都都庁舎案(1986) 




賛否両論の建築家ですが、“磯崎の影響なしに建築を学ぶことはありえない”との声もあるようです。
他の建築家と比較するのは難しい、次元が違う建築家だと思います。
ただ“廃墟思想”に関しては理解し難い部分も多く、「つくばセンタービル」についてどうやら市民の皆さんはあまりいい印象を持っていないようです。
“建築家”というよりはもっと思想的、哲学的で様々な顔を持っている磯崎さんですが、自身では建築家を強く意識したことはないそうです。
彼の一連の作品、提案、言動を見て感じることは磯崎新が“建築家”ではなく“芸術家”であるということです。
同時に自身のエゴをあそこまで出しながらも建築家として認められているという点で単純に凄さを感じます。
最も興味のある、僕がもっと学ぶべき建築家の一人です。